プロフィール

フォトアルバム

OakVillage

オークヴィレッジ(1974年創設、本拠地岐阜県高山市)は、出発当初から「100年かかって育った木は100年使えるものに」という合言葉で、持続可能な循環型社会を「木」という再生可能資源で実現しようと提案し続けています。

« わび・さび | メイン | 日本橋三越の展示は本日が最終日です »

2014年10月31日 (金)

正体が無い:デュシャン→クーンズ

01ジェフ・クーンズ:バルーンドッグ

レディ・メイド
あるコンテクストに、異なるコンテクストを投入する。
違うコンテクスト同士のぶつかり合い=軋轢、ズレに意味を期待する。
または意味の転倒による疑問の投げかけ。

コンテクストって?
構成単位とその総体との関係性。
例えば単語が連なって、一つの文脈ができる。
文脈の構成単位である単語は、その前後関係によって微妙に意味を変える。
そんな関係性のあるひとつの集合体-流れー脈。

マルセル・デュシャン:1887~1968  フランス生まれ。
芸術-アートと言う連綿と流れてきたコンテクストに、異なるコンテクストであるマスプロダクト-大量生産品の便器を『泉』と題して展示。(実際は展示されなかった。) そんなやり口をレディ・メイドと名付けた。

02マルセル・デュシャン:泉

それは何が新しくて、どこにプロブレマティックー問題構制があったのか?

1:マスプロダクト
まず、芸術-アート言うコンテクストに大量生産品が持ち込まれた事。
それ以前はOneOffものが常だった。
製作せずに、セレクトして題名を付ける。
OneOffに対しての相当なアンチだ。

2:意味(機能ー役割)の入れ替え
展示された便器にしてみれば、機能の剥奪→意味の入れ替え。
便器としての機能がなくなって単なるオブジェクトになってしまった。

需要と供給とコスト=マスプロダクトと言うコンテクストから離されて、芸術と言うコンテクストに投入された途端、便器としての機能が無くなって違う意味-新しい意味を帯びたオブジェクトになってしまう。 ただ単に題名を付けられて美術館に展示されただけなのに。

じゃあ、その新しい意味-機能-役割って?


3-a:匿名性
マスプロダクトを展示するのだから、当然そこには作家性が無い。ある作家の作ったOneOffものではなくて、大量生産品。→作家性と言う痕跡の否定-匿名性。

3-b:価値のスライド
『便器』を、まじまじと美術館で観てみても、そこにはあまり意義がない。『泉』と題されているが、便器である事に変わりはないから。

ここでの便器の意義は、違うコンテクストに置かれると意味、内容が変わるよ、と言う事を代弁する単なる手段。
オブジェクトに価値があるのではなくて、そのコンセプトに価値がスライドしていく。
コンセプチュアルアートの先がけだ。

3-c:パラドキシカル
レディ・メイドは単にオブジェクトを選んで、芸術と言うコンテクストに投入しただけだ。
だけど、そんな他愛の無い事が大層な意味を帯びてくる。

ん?そもそも芸術ってなんだっけ?
マスプロダクト-大量生産品なんて芸術とは、程遠くなかったっけ?
美術品を観ると言う行為って?
美術品を作る側と観る側の関係性って何だっけ?
ってな具合に。

沢山の有意義であることが転倒して、根本を直視せざるを得ない状況に追いやられてしまう。
対象を選んだだけなのに…

パラドキシカルだ。

3-d:好み、趣向=趣味の否定
レディ・メイドの『便器』が誰もが知っているポップアイコンや、汎用品になったら?
アンディ・ウォーホルに代表されるポップアートはまさしくこのレディ・メイドの、マルセル・デュシャンが発端となったアートだ。

だが逆に言えば、何故便器なんてセレクトしたの?って。
そこには人の好みや、趣向なんて芸術-アートの世界に必要なのか?
ってことの問い-趣味の否定。

3-e:シミュレーショニズム
サンプリング、リミックス。
過去のオブジェクト(絵画を含む)をサンプリグ-引用し、手を加える-リミックス。
つまりは、過去からの引用を現代のコンテクストに投入する。
オリジナリティに対する価値を問いただそうとする目的からシュミレーショニズムが興隆する。

シュミラークル理論に端を発するとの事だが、マルセル・デュシャンのレディ・メイドの系譜とも受け取れる。

※シミュラークルとシミユレーシン:ジャン・ボードリヤール:1929~2007:フランス
マスコミュニケーション、マスプロダクト、マスメディア
→複製技術の発達とそれ(コピー)の氾濫。
オリジナルとコピーの境がなくなり、その主従関係が転倒→霧散。
おぼろげな何かを想起させるイメージが独り歩きをする事を指摘。

まとめると…
要は芸術-アートの世界も(モダニズム以降も含めて)、もはや制度化してやしないかって?
(OneOffを製作して、それとリンクした所信表明(アンチ)を提示する=作家性の表明
→それが芸術で、芸術家の役割でしょ? と。)

そんな事に対しての異議申し立てを、便器を選んできて題名を付けて署名する。その事のみで表現してしまった。

美術の外のコンテクスト(マスプロダクト)→そこからオブジェクトをセレクト→題名付けて美術というコンテクストに投入。

ここで、美術の外のコンテクスト=メタ・レベルからの視点、思考、と言うことで決定的に新しいやり口だ。

ピカソすらもclassicにカテゴライズされても良いくらいに…
(表現技術とリンクして美術を論じていたのが、メタ・レベルな視点から美術を自己言及する、と同時に表現技術との断絶。マルセル・デュシャン以降そちらにスライドしていく。)

※メタ
入れ子構造の上のレベル-上位構造
例えば映画を観る、と言うことは映画のなかの出来事=ストーリーを基点とすれば、上のレベルからの視点。
この時のレベルをメタ・レベルと言う。

(映画を観る、と言う事はストーリーの中に没入している風だが、登場人物のそれぞれの関係性を俯瞰-把握している=メタ・レベルな視点で映画を観ている。

クエンティン・タランティーノ監督-パルプフィクションはそれぞれのストーリーが脈絡なく羅列し、俯瞰を一時排除。話が進むにつれその羅列が文脈となり、そこで始めて物語を俯瞰できる。その点で斬新な映画だったのかもしれない。)

03クエンティン・タランティーノ:パルプフィクション

話を戻すと、マスプロダクト-大量生産品とか、マスコミュニケーションとか、それによるポピュラリティーの存在ができたが故に、メタ・レベルから美術を論じる、 ってな事が可能になったと…。(mass-汎用 ⇔ OneOff-唯一無二)

そこに気づいたのは、はっきりいって凄いことだ。
いや、本当に。

ジェフ・クーンズ:1955~ アメリカ
やっぱりマルセル・デュシャンの延長で、美術-アートと言うコンテクストに電化製品、玩具などの、これが芸術作品?と言えるオブジェクトを、キッチュなオブジェクトを製作、もしくは選択、そして展示。

04ジェフ・クーンズ:THE NEWリーズ


(ここでキッチュの定義は難しい。とりあえずは、高尚に対しての安っこさ。安っこいがポピュラリティーはあり流通している。売れ線。解りやすさを求めた結果のディテールレス。mass。)

古典芸術を想起する題材を参照し、そこに手を加えて展示。
(手を加えた結果はキッチュなヴィジュアル、キッチュなオブジェクト)
『古典芸術』がキッチュになって『現代』と言うコンテクストに置かれる。

05ジェフ・クーンズ:古代美術シリーズ

新しいようで、新しくない、と思う、のは僕だけ?
マルセル・デュシャンからは逃れていないから、多分。

下手をすればメタ・レベルから、リアルなレベルにスライドしている。
つまりレディ・メイドの系譜であるように見えるが、そこから横滑りして、単なるキッチュになっているのかもしれないと言うことだ。

キッチュは手段であって目的ではない、のがレディ・メイドだし、ポップアートだと思う。

だけど…、その横滑りを、確信をもってやってレディ・メイドの進化系を意識しているのならば凄い事だ。

もはや、そこには正体が無い(=オリジナルなきコピー?) と言って良いのかもしれない。

ジェフ・クーンズ儀は正体が無い?

いやいや、美術手帖でジェフ・クーンズを特集していたものですから。

06美術手帖:JEFF KOONS


ではでは。




建築部:藤塚 俊彦

オークヴィレッジホームページ
オークヴィレッジオンラインショップ

コメント

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認するまで表示されません。