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オークヴィレッジ(1974年創設、本拠地岐阜県高山市)は、出発当初から「100年かかって育った木は100年使えるものに」という合言葉で、持続可能な循環型社会を「木」という再生可能資源で実現しようと提案し続けています。

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2016年11月 2日 (水)

コルビュジェ発 思考実験トリップ

後に示すヴィジュアル―模型写真を観て思いつくのはなんだろうか?

いや、唐突に、何を?と。
ある物件をやるにつけ…

スケントン―インフィルによる空間って、これはこれで難しい!と思ってしまった、今日この頃。

 

スケントン―インフィル
構造躯体に内装空間を、設備システムをインサートする。

経年に対して構造駆体をそのままに、内装空間を、設備システムをインサート-インフィル=更新出来るシステム。それはつまり、構造体と空間体がセパレート、大袈裟に言うと断絶している。

だから、スケルトン―インフィルシステムで、空間をあれこれ考える時、それは内装デザインを考えるってことにスライドしているの?と。(無意識の前提として、空間を考える ≠ 内装デザインって対立の構図。あんまり良くない傾向?)

それは、構造力学とコストに対して根拠ある駆体を考えておいて、内部空間は、内装デザイン=表層のデザインをインフィルする、って具合。

そんなこんなを考える内に、以下3つのコンセプトヴィジュアルが頭の中で並列しちゃった。

 

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一枚目のヴィジュアルは、有名なコルビュジェの、ユニテタビタシオンのコンセプトを示すヴィジュアル。

 

構造体となる立体グリッドに、住居ユニットが挿入される。(スケルトン—イン—フィルの先駆け?)

ここで建築の範疇で『構造体-構造』とは、以下。

・重力の下の力学として、バランスする仕組み=構造力学
・空間を支持するオブジェクトの集合としての構造=空間構造=空間体。
・効率化した先にたち現れる仕組み—システム、ユニテダビタシオンの場合は立体グリッドシステム、そう言ったシステムとしての構造。

この3つの意味があると思う。

つまり、構造とはある世界を成り立たせる下地。
実体から概念まで。いや、概念のみ?わからない、難しい。

 

話を戻して、コルビュジェがこの3つ全てを織り込み済みで世に送り出したのか否か?
は定かではないけれども、後世の人達は、拡大解釈する余地があったので、その可能性をフルに活用できたのかもしれない。

 

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ヴィジュアル2ー安藤忠雄―マンハッタンのペントハウス。

 

既存の建物に、2つの直方体が付加されている。

(実現不能、故に計画案にとどまる。だけど、だからこそ?相当エキセントリック。思考実験として相当面白い。)

付加されている直方体、とは以下。

一つは、建物の立ち居振る舞いなど無視して、つまり、建物の構造力学、空間体、システムは無視して、半ば暴力的に直方体が中間階に貫入している。

もう一つは屋上階に直方体が付加されている。ダイナミックで、衝撃的なのは中間階に貫入している直方体

(安藤忠雄の場合は、直方体=まんま空間体だ。内装をインフィルしないのだ、内装をデザインしないのだ、空間体をデザインするのだ。そう言う意味では、日本の伝統的木造空間-数寄屋は除外-とまんまリンクしている?)
意図としては、既存建物に対して内装レベルでの空間の対比では、やはり事足りないから3つの構造レベルでの対比を目指す、と言う事だと思う。

水平ー垂直の構造力学、空間体、立体グリッドシステムに、全く関連性を持つことなく、直方体=空間体が挿入されている。ダイナミックだ!

空間体験としてはきっと、それぞれのシステムの残り香を体験する計画をもってして、多分経験したことの無い空間体験が待ち受けているのだろうと思う。(内装と言う装飾レベルでは、成し得ない空間体験だと思う。but!片山正道の内装デザインは、別格かもしれない!)

先に記したコルビュジェのコンセプトヴィジュアルを拡大解釈した計画だと思う。

 

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ヴィジュアル3―レム・コールハース、フランス国立図書館―コンペティション案―こちらも実現には至らず計画案に終わる。

 

こちらは、もっとダイナミック。
下手をすると荒唐無稽の範疇?だけど、冷静で冷徹な感じがする。

つまり、計画案を公開することで、『今まで』に対して批評をしているのだと。

レム・コールハースの視点、態度は基本的には、この『批評』だと思う。

だから、批評故に時には荒唐無稽で、時には徹底したリアリズム。その振り幅がコールハースの魅力だと思う。

 

話を戻して、立体グリッドとは別に、水平スラブが積層する建築システム。

(この案の場合、スラブ=スラブ間は書庫としての機能が与えられている。)

このシステムだけで建物が建設されたなら、多分、いや間違い無く退屈極まりない建物になっていると。コストバランスとしては合理極まりない、と言う事なのでしょうけど。

(当たり前だけど、世の中建物は、ほぼほぼ全てこのカテゴリーに属する。)

だけど、全てに対して均一な、コールハース風に言えばジェネリックな環境を、下地を、つまり構造を作っておいて、そこに機能性とは関係のない形態-オブジェクト―空間体が、『構造-3つの構造』を無視したように挿入される。

ジェネリックに対してイレギュラーを挿入する。

そして、このオブジェクトに与えられている機能は、閲覧室や、メディアセンターなど。

フラットな-ジェネリックな空間構成、構造力学構成、建築システム(ここでは積層スラブ)、そこに、唐突に、唐突なオブジェクト―空間体が挿入される。

ここで、挿入される空間体は、コールハース風に言えばヴォイド。

コールハースの言うヴォイドとは、多分単なる実態としの空白ではなくて、概念も含めたヴォイドだと思うのです。

タブララサなのです。時代が下るにつれ、紆余曲折がまとわり付いて生の事実からどんどん遠ざかる。
それを取っ払うと、どうなる?って事なのかなと。

概念のヴォイドが立ち現れれば、それは逆説的にクローズアップされる。

持って行き方が突き抜けている!

そこが、レム・コールハースの説得力?
だから、物議を醸したコンペ案だったのです。
建築における思考実験なのです。

 

そして個人的には、コルビュジェのユニテタビタシオンのコンセプトヴィジュアルから、拡大解釈した先の解釈、計画案、だと思うのです。

地となるシステムに空間体を、拡大解釈して『異なるもの』を挿入する。それは、コルビュジェのユニテタビタシオンのコンセプトヴィジュアルからの進化系のコンセプション。

コルビュジェのコンセプションから、解釈を突き詰めればレム・コールハースのコンセプション至るのかな、と。

だから、コルビュジェは面白くて、エキサイティングだと思うのです。拡大解釈の連鎖。冷静、冷徹を排除して、今でもエキサイティングなのだと!

『システム』は効率化、単純明快を含意しているから、そこにイレギュラーを挿入すれば、何らかの意義がたち現れる。

これ、マルセル・デュシャンのレディメイド発だと‥‥
一品制作ものをもってして、以前のコンセプションに対して所信表明する。

時代が下ればそれも制度となってしまう。そんな制度に対しての異議申し立てとして、大量生産品を芸術の世界に投入する。そこには、色々な意味が含まれていて…
説明割愛。長くなるから。私の前のブログ参照

 

とにかく、コルビュジェのユニテタビタシオンのコンセプトヴィジュアルから時代が下れば、この2つ、安藤忠雄、レム・コールハースのコンセプションは、コルビュジェのコンセプションを軸とした一つの系譜に括る事ができるのでは?と思うのです。

このような思考実験のトリップ、トレース、もっといって旅。
それも、建築を楽しむ醍醐味の内の一つなのかな?と。

そう、思考実験をするには、思考の広大な範囲のバックグラウンドが必要で。

そんな視点から観てみると、磯崎新は権化なのです。
リスペクトしてもしたりない、脚元すら霞む。
僕にとっては、そんな存在。

話が反れた。
反れたついでに、建築の思考実験トリップをさらに。

建築のスタイルは、時代が下ってディコンストラクションまで行き着くのですけれど、3つの構造を下地に、いかに、イレギュラーを実現できるか、に回収されちゃうのかな?と言う見方もできる。

そんな最も分かりやすい例が、フランク・ゲーリーだし、ザハ・ハディドだし、その始祖は、ピーター・アイゼンマンだし。

その始まりは、やっぱりコルビュジェで。
あの、ユニテタビタシオンのコンセプトヴィジュアルに集約されてしまうのかな?と。

してみると、コルビュジェから今だもってして逃れられていない?

芸術の世界では、マルセル・デュシャンからは逃れられていないのです。

いや、このコンプションを最初に提示したのは、マルセル・デュシャン。だから、今だもってして、マルセル・デュシャンからは逃れられていない?(コルビュジェもその範疇の内なのです。)

ん?で、何が言いたかったんだっけ?
ではでは。

 

 

建築部(藤塚)



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